編集部の洋平です。
先ほど(ほんの5分前)、空港で帰国便の飛行機を待っている
高橋歩と池田伸と電話で話しました。
ふたりによると・・・
旅学スクール&ロッヂの建築は、9日に内装も含め、無事完成。
10日には、現地の子どもたち30数名をはじめ、マスコミ多数、市長さんのような方までスクールに集まり、開校式が盛大に行われ、一同大感激のまま、素晴らしいプロジェクトとして幕を閉じたそうです。
詳しくは帰国後に、池田編集長が報告します!
皆様、お楽しみに。
以上、速報でした。
| By youhei
・速報! 完成&開校式
・ダラムサラからバラナシへ
・旅学×STUDIO VOICE ONLINE!
・バラナシから写真が届きました!2
・ダラムサラに辿りついた
・バラナシから写真が届きました!
・バラナシ・進行状況
・バラナシのオン・ザ・ロード5
・バラナシのオン・ザ・ロード4
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・世界を遊ぶ!
(2007/09/05)
・旅・写真・旅
(2007/10/30)
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(2007/11/04)
・アジア放浪 vol.4
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・旅学表紙
(2007/11/07)
・アジア放浪 vol.6
(2007/11/08)
・アジア放浪 vol.8
(2007/11/11)
・あの時の夢
(2007/11/14)
・アジア放浪 vol.11
(2007/11/23)
・最高のパーティー!
(2007/11/30)
編集部の洋平です。
先ほど(ほんの5分前)、空港で帰国便の飛行機を待っている
高橋歩と池田伸と電話で話しました。
ふたりによると・・・
旅学スクール&ロッヂの建築は、9日に内装も含め、無事完成。
10日には、現地の子どもたち30数名をはじめ、マスコミ多数、市長さんのような方までスクールに集まり、開校式が盛大に行われ、一同大感激のまま、素晴らしいプロジェクトとして幕を閉じたそうです。
詳しくは帰国後に、池田編集長が報告します!
皆様、お楽しみに。
以上、速報でした。
| By youhei
6月6日、ダラムサラより無事生還。
生還、などという言葉が思わず口をつくほど、険しい旅だった。
総走行距離、約2800km。帰りは1300と少々を3日で一気に走った。
何度か季節外れの雨に会い、バッテリーが死んでバイクが止まり、道端のドライブインのような場所で野宿し、ただただスロットルを空け続けて、バラナシに戻ったときには心底ほっとした。正直辛い旅だった。
でも旅は辛いほど、険しいほど、心に深く刻まれる。
2週間に及んだインド亜大陸バイク一人旅で、俺はまたひとつ、強くなった。そんな実感がある。
comment (0) | By イケダシン
インド・スクール&ロッジの様子がSTUDIO VOICEで特集されています。
http://www.studiovoice.jp/
http://www.studiovoice.jp/special/index.html
※BGMは、インドのレンガ積みにも参加してくれた、FUNKISTが現地で作った曲になっています。
今後も、STUDIO VOICE ONLINE、旅学ブログ共に更新してゆきますので、重ねてチェックを宜しくお願いします。
| By taeco
こんにちは。旅学編集部Moffyです。
梅雨入りした日本では、肌寒くなり厚着をし、
日中45度にもなるインドでは、涼しくするために厚着をする。
そんな想像もつかない酷暑のバラナシから、写真が届いたのでアップします。
早朝のガンジス河を上流に向けボートで通勤。説明不可能な経験。
二階へと続く階段が出来てきました。
二階ゲストハウス部分。外壁・内壁が出来てきてようやく部屋の形が見えてきた。
comment (3) | By A-Works
当初の予定通り、5月25日、俺はバラナシを後に、旅に出た。
スクール&ロッジの指揮は歩に任せて、ひとりバイクでバラナシを走り出したというわけ。
目指したのはダラムサラ。カシミールに程近い、インド北西部の町。ダライラマが亡命政府を置く地であり、たくさんのチベット人たちが暮らす、インド唯一最大のチベット街だ。
バイクはインド・エンフィールド社製のブレット(=弾丸)というヤツで、プジャで知り合ったソヌーというインド人が貸してくれた。
50年間変わらず作り続けられているシーラカンスのようなバイクで、その走りが「弾丸」という名にふさわしいかはさておき、タフで粘り強い。
大きなハイウエイを使わず、ローカル国道をひたすら走り続けた。
街道沿いにはトラックドライバーのためのドライブインみたいなヤツが点々とあって、そこに置かれた竹製簡易ベッドで寝たり、バイクが止まって居合わせたインド人たちが寄ってたかってヘルプしてくれて、路肩の店先のベンチで寝たり。ビレッジでは誰も英語など話さないが、英語が通じる観光地以上に意思疎通に不自由はない。
40度を大きく上回る酷暑の中を走り続けること6日、ガンジスの源流に近いリシケシュを経由して、30日、ダラムサラにたどり着いた。
ここはヒマラヤの裾野、吹く風は涼しく、本当にインドなのかと疑いたくなる。しかも一泊800ルピーなりの高級ホテルは日本レベルの快適さで。すっかり高原暮らしを満喫している。
俺のふるさと、信州みたいなところだ。不思議なことに。はるばるインドまでやってきて、1300キロほどバイクで走り続けて、やってきた故郷のような土地。これこそが縁=カルマなのだと強く感じる。
道すがら、何人ものインド人に「お前はチベット人か」と聞かれた。日本人はチベット人とよく似ているが、俺はことさら近いらしい。灼熱のバラナシ組に申し訳ないような気もするが、ここで4、5日のんびりして、帰りはインターステート・ハイウエイを一気に下るつもり。
インド飯がどうも苦手な俺にとって、チベットの食事はうれしい限り。さあ、朝飯のモモ(チベット風餃子)でも食いに行くとしようか。
comment (0) | By イケダシン
こんにちは。
旅学編集部のtaecoです。
インド・バラナシのスクール&ロッジ作り。
高橋歩を始めとする、スタッフ、ボランティアの皆さんは、毎日暑い中、本当に頑張ってくれています。
現在、作業は一階の学校部分の内壁塗りがほぼ終わり、
二階のゲストハウス部分の壁のレンガ積み、階段作りと佳境を迎えているそうです。
ボランティア隊長のToshiくんから、沢山の写真が届きましたので、アップします。
地面の砂もそのまま使っています。
左がマルコ。二階部分が出来上がる前の段階。
レンガを次々中に運び込む、人力・ベルトコンベアー。
comment (1) | By taeco
こんにちは。旅学編集部Moffyです。
池田さんに電話をして建築進行状況を聞きました。
一階の壁面は完成して今は一階の天井部分、つまり二階の床を作成中!
作りながら素材や方法を決めているらしく、悩んだ結果、床はコンクリートで作ることに。
現地スタッフから、コンクリートマシーンがあると聞き、どんな装置なのかと期待していたら、普通のベルトコンベアーだったらしい。。
天井&床の作成に約4日、コンクリートが完全に乾くまで10日ほどかかるらしく、その間に2階部分の壁面を積み上げていく予定。
予想外に建築経費がかかり苦戦しているそうです。
それと、FUNKISTのメンバーが今回の企画にボランティアとして参加してくれています。
休憩中に生ライブをやってくれたそうです。
疲れきった参加者やインドの子供たちにとっては最高の時間になったと思います。
FUNKISTのみなさんありがとうございます。
東京で仕事のため、インドに行けないA-Worksメンバーは、出発までの準備や案内はできても、出発した参加者のケアをすることができません。
だから、建築の進行よりボランティア参加者の健康状態が一番の心配。
今のところ腹痛と発熱などはあっても、大きなケガや病気もないということでホッとしました。
灼熱のインドで大変だと思いますが、体調を崩すことなく、6月10日の完成を目指して頑張ってください!
| By A-Works
天井のファンが暑い空気をかき回す、けだるい午後。10年ほど前に放映されて今でも人気があるという再放送ドラマ(ハシダスガコか水戸黄門のようなものだろう)に見入る、ルーフトップ・レストランのインド人たち。長いすに寝そべって居眠るヤツもいれば、テレビの前で椅子に座って真剣に見入るヤツもいる。毎日変わらず繰り返される、バラナシの日常。
クリケット・プロリーグのゲームは人気が高く、街角のキオスクの14インチブラウン管に人が群がるその様が、写真から想像するしかない昭和初期の日本と重なった。
貧しいけど、幸せだった時代。
三丁目の夕陽の世界は今や日本人にとって失われてしまったノスタルジーに過ぎず、しかしこの国の人達は俺たちが失った時代そのものを生きている。
学校を作るレンガを買うため、ファクトリーに行った。
砂埃が舞い、思わず口と鼻を布で覆いたくなる荒野には、見渡す限り土色わら屋根のあばら家が点々と作られ、人々はすべてはだしで土をこね、土の上で暮らしていた。肌の色の濃い最下層カーストの暮らし。
珍客を遠巻きに見ていた子どもたちは、皆本当に薄汚れ、赤ん坊は丸はだか。カメラを向けるとはじけたようにわらわらとよってきて、ファインダーを黒く汚れた顔が埋め尽くす。そこに浮かぶたくさんの瞳は純白の輝きを放ち、そのあまりの美しさに俺は息を呑む思いでシャッターを押した。
根強いカーストの中で、埃と煤にまみれた荒野で一生生きていく以外に選択肢のない、貧民暮らしの子どもたち。しかしその瞳は痛々しいほど強く輝き、その笑いは屈託なくどこまでも健やかだ。
幸せは、どこにある?
何を選ぶことも自由な俺たちの国は、あたりまえのように自由に満ち溢れ、しかしそれに慣れすぎて自由の素晴らしさを忘れてしまった。
なろうと思えば何にでもなれる。
しかし何らかの理由でそれをあきらめ、それを誰かのせいにする。
社会が悪い親が悪い東京が悪い政治家が悪いあいつが悪い日本が悪い。
だから俺はなりたいものになれない。
夢さえ満足にもてないインドで暮らしながら、自分がどれだけ甘い世界で生きているかを痛感している。
たくさんの貧しい家族のささやかな暮らしがまぶしく見えるのはなぜだ。未来はおろか明日のことさえ考えず今日だけを生きていく貧者の暮らしが幸せに見えるのはなぜだ。世界有数の金持ちである俺たちの生活で幸せという実感がつかめないのはなぜだ。
幸せは、どこにある?
今日も俺は自分の心にそう問いかける。
comment (0) | By イケダシン
今日は6月20日。作業を始めて10日が経過した。
相変わらずの猛暑続き、気温は連日40度を大きくオーバーし、
でもみんな、元気いっぱいで働いてる。
発熱や下痢、嘔吐の症状で寝込む人も毎日数人。
でも1日2日宿でゆっくりすればみんな回復、大事には至らず。
励ましの直メールをありがとう。
大きなエンジンつきボートを借り切って、毎日7時に船で出勤。
優雅といえば優雅な日々。俺はエンフィールドというインド製のバイクを借りていて、みんなとは別に一人でバイク出勤。今日は途中でバイクが止まって、何とか宿に戻って、だからお休み。ならば、と数日振りにPCに向かい、ようやく写真をいくつか送信した。着いてるんだろうか。
報告をひとつ。
このプロジェクトがインドのテレビや新聞で大きく報道された。
マルコと俺はTV局のスタジオまで招かれてニュースに生出演。
ボランティアスタッフたちも街中を歩いていて「見たぞ」と声を掛けられたりして、日本よりもインドで有名人。すばらしい日印の架け橋になっているのではないでしょうか。
いずれにしても、ようやく3分の一が経過。現在一階二階のフロア作りに着工果たしてこの先どうなることか。結末は神が知っている。俺たちは毎日、自分のできることをするだけだ。
comment (4) | By イケダシン
今日は5月13日。
10日の夕方から前夜祭をして、11日から働き始めて3日目。
すべてがインド時間で進む中、ようやくレンガを積み始めた。
みんな汗だくで。黄色いインドの大地の砂にまみれて。
最大の楽しみは、現場からの帰り道、路上の屋台で飲むフレッシュマンゴージュース。
暑気あたりの下痢患者続出なれど、みんなから笑顔は絶えず、子供たちの笑顔に囲まれて日々を過ごしてる。
1ヶ月の長い長い戦い。長く、辛く、そしてこの上ない幸福の日々。
歩と3人で4月30日に日本を出た妻の美和が、明日帰国する。
それをマザーベイビーに告げたら、マザーはぽろぽろと泣き出して美和と長いハグを交わし、それを見ていたマルコと俺もみんなで泣いた。クレイジーなだんなを持った妻同士、言葉は通じなくても言葉以上に通じているんだろう。まるでウルルンだ。
ありがとうシヴァの神よ。
シヴァの頭から流れ出た聖なる河よありがとう。
破壊と創造、出会いと別れ。
嗚呼、俺たちは今、シヴァと共にいる。
comment (0) | By イケダシン