天井のファンが暑い空気をかき回す、けだるい午後。10年ほど前に放映されて今でも人気があるという再放送ドラマ(ハシダスガコか水戸黄門のようなものだろう)に見入る、ルーフトップ・レストランのインド人たち。長いすに寝そべって居眠るヤツもいれば、テレビの前で椅子に座って真剣に見入るヤツもいる。毎日変わらず繰り返される、バラナシの日常。
クリケット・プロリーグのゲームは人気が高く、街角のキオスクの14インチブラウン管に人が群がるその様が、写真から想像するしかない昭和初期の日本と重なった。
貧しいけど、幸せだった時代。
三丁目の夕陽の世界は今や日本人にとって失われてしまったノスタルジーに過ぎず、しかしこの国の人達は俺たちが失った時代そのものを生きている。
学校を作るレンガを買うため、ファクトリーに行った。
砂埃が舞い、思わず口と鼻を布で覆いたくなる荒野には、見渡す限り土色わら屋根のあばら家が点々と作られ、人々はすべてはだしで土をこね、土の上で暮らしていた。肌の色の濃い最下層カーストの暮らし。
珍客を遠巻きに見ていた子どもたちは、皆本当に薄汚れ、赤ん坊は丸はだか。カメラを向けるとはじけたようにわらわらとよってきて、ファインダーを黒く汚れた顔が埋め尽くす。そこに浮かぶたくさんの瞳は純白の輝きを放ち、そのあまりの美しさに俺は息を呑む思いでシャッターを押した。
根強いカーストの中で、埃と煤にまみれた荒野で一生生きていく以外に選択肢のない、貧民暮らしの子どもたち。しかしその瞳は痛々しいほど強く輝き、その笑いは屈託なくどこまでも健やかだ。
幸せは、どこにある?
何を選ぶことも自由な俺たちの国は、あたりまえのように自由に満ち溢れ、しかしそれに慣れすぎて自由の素晴らしさを忘れてしまった。
なろうと思えば何にでもなれる。
しかし何らかの理由でそれをあきらめ、それを誰かのせいにする。
社会が悪い親が悪い東京が悪い政治家が悪いあいつが悪い日本が悪い。
だから俺はなりたいものになれない。
夢さえ満足にもてないインドで暮らしながら、自分がどれだけ甘い世界で生きているかを痛感している。
たくさんの貧しい家族のささやかな暮らしがまぶしく見えるのはなぜだ。未来はおろか明日のことさえ考えず今日だけを生きていく貧者の暮らしが幸せに見えるのはなぜだ。世界有数の金持ちである俺たちの生活で幸せという実感がつかめないのはなぜだ。
幸せは、どこにある?
今日も俺は自分の心にそう問いかける。
comment (0) | By イケダシン
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